関係者とつながるリレー寄稿 Stakeholders network 人と人、組織と組織のつながりで災害廃棄物の対策・処理を進める

【リレー寄稿】佐藤正之(さとうまさゆき)

佐藤 正之(さとうまさゆき)

宮城県解体工事業協同組合 理事長(宮城県出身)
(2020/3/31掲載)

佐藤 正之(さとうまさゆき)き)

災害廃棄物に関わったきっかけ

 私どもは、基本的に処理過程で『産業廃棄物』になる建築物、構築物の解体を行う業者の団体です。従って、普段は『災害廃棄物』には縁の遠い団体です。しかしながら、阪神淡路大震災や、その後の災害の発生に鑑み、大規模災害発生時に行政の活動支援として、わが組合としてできる業務を提供するために、最初に宮城県と平成11年3月31日、『大規模災害時における建築物等の解体撤去等の協力に関する協定』を締結しました。その後、県内各市町村と同様の協定を締結し、仙台市とも平成21年に協定を結びました。その二年後に東日本大震災が発生し、仙台消防局からの要請で翌日から、津波の押し寄せた幹線道路の啓開活動を開始しました。その後は、仙台市沿岸部の人命救助、遺体捜索に係るがれき類の運搬集積業務、県警の依頼による、宮城県沿岸部での遺体捜索の補助業務などでのがれき撤去業務に従事し、6月からは、仙台市の倒壊家屋の撤去工事に当たりました。これが組合として『災害廃棄物』との関わりの始めです。

もっとも強く印象に残ったこと

 東日本大震災の翌々日に道路啓開の立ち合いをしていたら、啓開したがれきの中に預金通帳があったのです。手に取ってみたら知り合いの通帳でした。彼は沿岸部に住んでいたので、家屋は全壊で流され、すべてが津波で散乱したのでしょう。散乱するがれきには多くの人の思いの入った、多くの人が普段使っていたものです。亡くなった人のもの、生き残った人のもの。普段感じない感情が沸き上がったことが印象に残っています。

現在の災害廃棄物対策との関わりや今後取り組みたいこと

 現在、わが組合では令和元年台風19号により被害を受けた、宮城県角田市、同じく丸森町の依頼により公費解体の対象建物の解体撤去工事を拝命しております。東日本大震災から9年目にして同じような業務をしなくてはなりません。よもやとも思いましたが、現実に起こりました。東日本大震災から比較的年数もたっていなかったので対応がとりやすかったのですが、これからのことを思うと具体的ですぐ実装できる計画書を作成しなければと思っています。

災害廃棄物対策に関して欲しい情報、共有したい情報

 我々解体業界としては、建物の構造、階数、延べ床面積、敷地情報があればおおよその重機、人員、日数の必要数が見当つきます。それが分かり、棟数が分かればおおよその完了工程は計算できますので、早めにそれらの情報が欲しいところです。それによって手配する施工班数が予定できます。しかし、実際の公費解体依頼は一度に来るものではないことが往々にしてあるので、ある程度柔軟に受け入れられる状況作っておかなければならないと思っています。

その他、災害廃棄物対策に関する思いなど

 個人的な思いかもしれませんが、東日本大震災の時は大きな揺れがあり、わが家にも若干の破損、痛みなどが生じ、わが身に起こったこととして最後まで処理業務に係りました。しかし、令和元年台風19号による丸森町、角田市、大郷町など県内の被災に関して東日本大震災の時のような感覚が起こりませんでした。この感覚は、自分や、自分の近くに同じような体験がないと実感できないのだと思います。そういった意味では、防災協定を結んでいるものとして被災地の実態を共有するために、少なくとも県内で発生した場合などは速やかに現場確認を行い、それを団体で共有する仕組みが必要だと思いました。報道からの情報と同じになるかもしれませんが、より近い関係からの情報であれば、感じ方がより身近になるのではないでしょうか。その伝でいえば、全国組織があるならば、非被災団体に被災団体の情報を独自に配信するのも方法かもしれません。

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