熊本市環境局資源循環部東部環境工場 技術班主査 廣野健二
令和元年6月
目次
1.施設概要
熊本市は、大阿蘇の大地を源とする地下水と緑に恵まれ、この豊かな自然の中で重厚な文化をはぐくみ、「森の都」と呼ばれ、人口約74万人の政令市として発展してきました。平成23年3月に「市民・事業者・行政の三者協働により、ごみを出さない、資源を生かす循環型社会の構築を目指す」を基本理念とする一般廃棄物処理計画を策定。市内3カ所の収集運搬の拠点、2カ所のごみ焼却施設、1カ所の埋立処分場により、ごみ処理を進めています。(※一部の地域のごみは、広域処理をしています)
2カ所の焼却施設の処理能力は平成6年度から稼働している東部環境工場が600t/日、平成28年度からDBO方式で稼働している西部環境工場が280t/日となっており、震災前の平成27年度は1日平均570t、年間総焼却量20.7万tのうち約6割を東部環境工場で処理しております。当工場はごみ受入れを行う管理班、設備の維持管理を行う技術班、及び焼却炉の運転を行う運転班による体制と一部の業務委託により運営を行っております。
東部環境工場の外観
平成2年12月着工
平成6年3月竣工
総工費 225億円
地上5階、地下2階
延床面積 24,010平方メートル
焼却炉 デロール式 300t×2基
発電能力 10,500kw
震災発生当時職員数
管理班 20名
技術班 9名
運転班 22名
2.熊本地震における東部環境工場の被害状況
4月14日21時26分(前震) 突然の激しい揺れに見舞われ、稼働していた2号焼却炉とタービン発電機が緊急停止し、当日勤務中の運転班5名と急遽駆け付けた職員10数名で被害状況確認を行いました。被害は、照明の破損、計装用空気配管の破損、ダンパー駆動用空気制御部の破損、機器冷却塔内の配管詰まり等であり、焼却炉の運転に大きな影響を与える被害はありませんでした。
翌15日20時から2号焼却炉の立上げを始めたところ、16日1時25分(本震) 再び強烈な揺れに襲われ、直後から断続的に発生する強い余震により、東部環境工場は甚大な被害を受けることになりました。
焼却炉の運転再開のため、手摺の脱落や階段のずれが発生している危険な状況の中、建物および各設備の被災状況の調査を開始し、また、メーカーに依頼してプラントの被害状況の調査も行いました。
主な被害状況(写真の通り)
建築設備 | 外壁の落下、屋上防水の亀裂、屋上ルーフモニターの破損、ブレース(筋交い)の破断、ごみ搬入車両の進入用ランプウェイのシャッター破損、通路天井の破損、退出用ランプウェイの支柱の亀裂やコンクリート剥離、点検用グレーチング通路の破断、エレベーターの故障 |
外構関係 | 地盤沈下、給水管の破損、下水管の破損 |
プラント |
バグフィルターバイパスダクトの脱落、ボイラー水管のずれ、通風用ダクトの破損、機器冷却塔の破損、冷却水高架タンクの基礎破損、蒸気管のサポート破損 |
ライフラインの被害
上水道 | 前震から約1週間断水した |
井戸水 | 断水はしなかったが、2~3日間は濁っていた |
電力系統 | 前震の際、約1時間停電、本震では約2時間30分停電 |
燃料 | 停電時間は短かったため、非常用発電機の燃料はほぼ消費しなかった |
建築設備の被害
写真1:外壁の落下
写真2:屋上防水の亀裂
写真3:屋上ルーフモニターの破損
写真4:ブレース(筋交い)の破断
写真5:退出用ランプウェイの支柱の亀裂
写真6:通路の天井落下
外構関係の被害
写真7:地盤沈下
写真8:下水管の破損
プラント関係の被害
写真9:ボイラー水管のずれ
写真10:通風ダクトの破損
写真11:蒸気管のサポート破損
3.復旧の取り組み
3.1 応急対応
震災により大量の焼却ごみが発生することが予想される中で、我々がやらなければならないことは、循環型社会のインフラとなっている当工場の焼却炉運転を一刻も早く再開することでした。
プラントメーカーと連携し、後回しにできるものと早急に対応すべきものとを洗い出し、それらに応じた資材の調達と作業員の確保等を急ぎ、早期の運転再開を目指しました。連携した早急な対応により、地震発生から約2週間後の5月1日に2号炉の運転再開、さらには5月18日に1号炉の運転を開始し、その後は2つの焼却炉を安定して運転することに尽力しました。
早急に対応したもの
- 井戸水の濁りにより配管が詰まった機器冷却塔の清掃
- 投入・破砕設備を運転するために必要な冷却水の確保(上水が断水したため、井水配管を仮設した)
- 落下したバグフィルターバイパス配管の応急処置
3.2 本格復旧
後回しとしていた建築設備や外溝の復旧も含めて、本格的な復旧は9月中旬から行う計画とし、プラントメーカーと打ち合わせながら、年度内に確実に復旧するという工程を組み上げました。
それに伴い、建築の復旧部隊、外構の復旧部隊、プラント設備の復旧部隊、電気・機械設備の復旧部隊、など多くの協力会社からの支援を受け、綿密な工事調整を進め、復旧作業は翌年3月まで続きました。
建築関連の施工管理や施工に関する業者との打ち合わせにあたっては、当工場には建築専門の職員がいないため、本庁の建築職員に技術的支援をお願いしました。
翌年3月までに復旧を完了させるための進捗管理も重要課題ではありましたが、何よりも優先すべきは、作業における安全確保であり、限られた期間で、試行錯誤しながらの作業も多かったため、安全面が軽視されないかの不安がある中で、事故は絶対に起こしてはならない状況でした。
1 復旧作業時間の確保
9月中旬より本格復旧が始まると、想定以上に復旧作業の調整が難しいことがわかりました。
最も難しかったのは、ごみの受入れに関連するエリアの復旧でした。進入路用のシャッターの破損の復旧においては、ごみ受入れを行っている平日及び土曜日は作業できないため日曜日の作業となり、1日では終わらないため日曜日作業を3回行うこととなりました。
ごみピット上部のブレース(筋交い)の破断の復旧においては、ごみを受入れている日中はごみクレーンの移動範囲外のエリアの復旧を行い、ごみ受入れをしない夕方から早朝にかけて残りのエリアの復旧を行うという昼夜2交代での作業となりました。
2 冷却水系統
高温でごみを焼却する工場にとって、冷却水系統は焼却炉を安定して運転するための重要な設備です。この地震で機器冷却塔と冷却水高架タンクに大きな被害があり、機器冷却塔は側面パネルの脱落、ブレース(筋交い)の破断、内部充填材の破損があり、取り換える方針としました。
屋上設置の冷却塔の撤去及び据付作業には地上35mまで吊り上げるクレーンの調達が必要でしたが、県内では調達できず、県外からクレーンを3日間だけ借用でき、無事据付けが完了しました。
写真12:機器冷却塔の破損
写真13:機器冷却塔更新 使用クレーン
また、冷却水高架タンクは基礎のコンクリートの亀裂や脱落があったことで、タンクと基礎の固定が外れ、タンクが基礎に乗っているだけの状態でした。日々余震が続く中で、タンクがずれ落ちないよう、四方の壁から金属製の突っ張り棒で押さえる仮処置で使用を継続し、その後、破損した基礎を取り囲む形で新たに基礎を作り、翌年3月に復旧が完了しました。
写真14:冷却水高架タンクの基礎破損
写真15:冷却水高架タンク 復旧中
3 排ガス処理設備
排ガス処理設備の主要な設備であるバグフィルターにおいては、バイパスダクトという大口径の金属製ダクトが脱落しました(1号炉用、2号炉用いずれも)。脱落したダクトは部分的に再使用できるのではないかと検討を進めましたが、調査には広範囲に強固な足場を設ける必要があり、残された時間と経費面、安全面など総合的に判断し、再使用せず更新する方針としました。
床面から10m以上の高さに位置する直径約1.2m、全長約25mのダクトを1号炉と2号炉において撤去、更新するという作業は足場設置から完了に至るまで約50日を要する大掛かりな作業となりました。大きく、重量のあるダクトをいくつも組み立てていく作業は安全面に細心の注意が必要でした。
写真16:バグフィルターバイパスダクトの破損
写真17:バグフィルターバイパスダクトの支持部外れ
写真18:バグフィルターバイパスダクト撤去中
写真19:バグフィルターバイパスダクト施工中
4 給排水設備
屋外の給排水設備関係の復旧の難しさも感じました。
上水配管、汚水管、雨水配管の埋設位置を把握するのに苦労し、埋設管の破損状況調査においては、目視できないため、排水管調査用の内視鏡を使用しました。破損したのは、主に土中埋設から建物内へ入り込む部分やコンクリート桝への配管接続部でした。地盤沈下によるずれを吸収できなかったものと思われます。
上水管は緊急で修理し、排水管は、閉塞は発生しなかった為、復旧までの間も通常通り水を流していました。
5 ごみ搬入通路
ごみ受入れ関連の設備に関しては、計量台周辺の陥没、進入用ランプウェイのコンクリート支柱の亀裂、進入路用シャッターの破損、退出用ランプウェイのコンクリート支柱の亀裂が発生しました。
これらの完全復旧までの期間において、混乱や事故を避けるため、ごみの搬入車両の通行ルートや受入時間を変更することなく復旧することを念頭に作業を進めました。それは、ごみの受入終了後の時間や休日に作業を行うこと、また、車両の通行を妨げない施工方法を採用することで実現でき、最終的に復旧したのは、年度末の3月でした。
ごみ搬入ルートの被害状況
写真20:退出用ランプウェイ破損部
写真21:退出用ランプウェイ 補修中
6 ごみの受入れ体制
罹災ごみの申請受付は、申込みに来られた被災者の長蛇の列が毎日できて、交代で慌ただしく食事を取りながらの対応となりました。
ごみの受け入れ(計量、投入エリア、ごみ破砕、ごみクレーン)業務においても慌ただしい日々で、通常業務を行いながら、手分けして、工場に隣接するごみの仮置き場での車両誘導や不適物確認作業も行い、一日の車両誘導を終えたときは、皆の顔は砂ぼこりと日焼けで茶色になっていました。
日々増え続ける罹災ごみを受け入れながら、職員一丸となって被災した焼却設備の復旧に必死に取り組んだ結果、年度内に復旧を終わらせることができたときは本当にほっとしました。本震直後は何から着手すべきか全くわからない状態でしたが、やるしかないとの思いだけで日々取り組んだ結果、復旧に至りました。きっと、為せば成る、為さねば成らぬ何事もということなのでしょう。
写真22:ごみの仮置き場(工場横)
4.復旧に係る廃棄物処理施設災害復旧事業費補助金について
申請業務については当工場で災害復旧補助事業の経験がなかったため、他の環境部門から申請書類を取り寄せながらの試行錯誤の連続でした。県が作成した補助金申請にあたっての説明資料と以前申請経験のある者からの助言は大変参考となりました。
“一式”という表記は、場合によっては内容が曖昧であると判断されて補助対象外とされる恐れがあり、可能な限り使わないほうが良いとのアドバイスを受けました。内訳書(見積り書)の記載において、施工内容についてどこまで掘り下げて記載するべきかという点に苦慮しました。プラントメーカーにとっても短期間で詳細な仕様を提示することは難しかったからです。とにかく急いでもらい、限られた時間でどうにか内訳書を作成しました。
補助金の国の査定は12月に行われるであろうとの情報があったので、それに向けて各書類を準備し、12月2日に災害等報告書を県へ提出し、国による査定は12月12日と13日の2日間で実施されました。
1日目はプラント関係、2日目は建築関係の査定で、我々が想像していた以上に詳細な点について質疑があり、的確に答えることができない部分もありましたが、我々の思いを伝えることと工場の被害の大きさをしっかりと伝えることに努めました。査定の場で、追加資料の提出の指摘を受けた点ついては、2日後の査定官が東京に帰られる日に資料を提出しました。
その後、持ち帰られての本省協議において発生した新たな質疑について、数件回答しました。主な内容は、一つは場内誘導員の必要性と人工数の根拠について、もう一つは震災が発生する前において、建築設備も含めて施設の維持管理が適正に行われていたことを示す資料の提示でした。
5.振り返って
熊本地震においては震度7の2度の大きな揺れ以外にも、地震発生後わずか2週間で3000回を超える大小さまざまな余震があり、本震で生じた亀裂や沈下、配管のずれ等が悪化していきました。また、被害状況把握後の不具合箇所の新たな発生を引き起こし、対応をより難しくしました。
今回のように1つの工場に甚大な被害がもたらされた場合に、残されたもう一つの工場でごみの焼却を行うことになります。震災時の対応力という観点のみから言えば、焼却炉の処理能力は大きいに越したことはないなと実感しました。
震災直後、場内各所の被害状況を把握するために巡視したり、各所で応急修理を行ったりしたのですが、大きな妨げとなったのが、エレベーターが故障で使えなかったことです。工場は、地上5階、地下2階と階層が多く、工具や材料、脚立等を持って一日に何度も階段を上がり下がりしたことで、体力をかなり消耗しました。今思うと、エレベーターの復旧(縦導線の確保)は、最優先で行うべきものでした。
屋上防水の破損とルーフモニターの破損は、炉室内へのはげしい雨漏りを引き起こしました。破損箇所をブルーシート等で覆ったのですが、屋上は風が強いため、数日でブルーシートが裂けました。照明関係の漏電が多発したり、火災感知器への水の浸入で誤作動が起こったりして苦労しました。また、重要機器や電気盤に水がかからないように、炉室内の各所をビニールシート等で養生する必要がありました。
他都市から、罹災ごみの収集等で多数の方々に応援に来ていただきました。本工場においても多数の方に寝泊まりしていただいたのですが、十分なスペースが確保できなかったのが実態です。また、寝泊まりしていただいた部屋も地震で天井が部分的に脱落したり壁には亀裂があったりして決して快適ではなかったと思います。他都市からの応援の方々を受け入れられる専用の施設があったら良かったかなと思いました。
事務所での罹災ごみの申請受付で困ったのは、申請に来られた方に、ごみの発生場所を聞いたり、不適物は積み込んでないか等を尋ねたりした際、“私は、ごみを運んでは来たが、積み込みはしてないのでわかりません”と答えられる方が意外に多かったことです。他県から急遽来られた業者さんも多かったので仕方ないのかも知れません。
2回目の地震の直後は、先が全く見えない状況でしたが、工場が復活できたのは、職員が一丸となって日々刻々と変化する現実に、体力の続く限り対応し続けたこと・・・・これが最大の要因だったと思います。
最後になりますが、東部環境工場の復旧にあたって貴重なご助言をいただいた方、被災直後から復旧業務に早急な対応を頂いたプラントメーカー、他の仕事を後回しにして急遽かけつけていただいた関連業者の方々、応援いただいた他都市の職員様、ほんとうに多くの皆様に感謝申し上げる次第です。
本記事は以上になります。